「他の人と同じでいい」
この言葉は自分が最も嫌いな言葉です。
そしてこう言いたくなります。
「あなたは本当にそんな生き方でいいのか?」
他の人と違うコンプレックスは誰にでもあるものです。
でも、それも自分の個性として受け入れられるか?
それが大切だと自分は考えています。
他の人と違うというコンプレックスは持たなくていい
他の人と違うと思うことは誰にでもあります。
でも、ほとんどの人はあなたのことなんか気にしていません。
よほど迷惑をかける個性であれば話は別ですが、もしそうではない個性であれば、誰にも迷惑をかけていないので気にする必要はありません。
もし他の人と違うコンプレックスが他の人に注目させるのであれば、その人はかなりの有名人ですね。
一言聞きます。
「あなたはそんなに有名な人なんですか?インフルエンサーか何かですか?」
この質問に対して「No」の答えであれば、あなたが考えるコンプレックスなんて、他の人から見たら大したことがないものです。
なので、他の人と違うことは気にしなくていいんです。
他の人と違うことを気にするから心が苦しくなる。
他の人と違うことを気にするから恥ずかしいと思い、隠したがるようになる。
反対に、他の人と違うことを気にしなければ、心は楽になる。
他人と違うことを気にしなければ、周りのことなんてどうでもよくなる。
学校では他の人と同じでないといけないと教えられたかもしれませんが、大人になってからそのまま学校で習ったことを信じて生きていくだけだと、何も他の人と変わらない人生になってしまうわけですね。
そして、年老いた時に、自分らしく生きて来られなかったことを後悔してしまう。
だから、他の人と違うというコンプレックスを持っている必要はない。
むしろ、コンプレックスを持っていると人生を歩んでいく途中での障害となってしまうこともあるのです。
他の人と違うことは他人に否定されるべきものではない
他の人と違うことは個性ということが出来ます。
そして、その個性は誰にでもあるものです。
他の人と違うこと・・・子供の時はいじめの原因になってしまうかもしれません。
そして、それがトラウマになってしまうこともあるかもしれません。
しかし、自分が大人になると、周りの人も大人になります。
だから、少し人と違うことがあっても、それを受け入れて大人な対応をしてくれます。
もし、周りの人があなたが他の人と違うことを原因にいじめてくるようであれば、その集団の中にいる人たちはアダルトチルドレン(見た目は大人、頭脳は子供という逆コナン状態の厄介な人たち)で構成されているということです。
大人のいじめもこのようなアダルトチルドレンによって引き起こされます。
精神年齢が社会人になっていない人たちと付き合うのはかなりつらいですね。
だから、もしそういう集団に入ってしまい、大人のいじめを受けた時は、そこから抜け出せばいいのです。
大人になったことで、あなたは大人のいじめをしてくる人たちに対して一つ大きな武器を持っています。
拳で殴ることでも、言葉で論破することでもありません。
裁判を起こせばいいのです。
いつどんないじめを受けたかを記録する、ボイスレコーダーで録音するなどの方法でいじめを受けている証拠を集め、弁護士に相談すれば裁判をする準備をしてくれることでしょう(最初に相談に行った時に弁護士からこんな証拠を集めて欲しいと言われると思うのでそれに従えばいいです)。
そして実際に裁判をする場合、いじめた側は被告となります。
裁判で相手と戦う時に証拠が必要なのですが、弁護士と相談してからしばらく泳がせると証拠はしっかり集まるはずです。
そして、相手を刑事告訴するか、損害賠償を請求するかで相手を合法的に苦しめることが出来ます。
やられたらやり返す。
それが出来るのも大人の対応方法です。
それでも反省しない相手ならば、相手に人の心はありません。
もうこれ以上関わらないことです。
会社の中でいじめられているのであれば事情を話して退職したり、部署移動したりして、相手の会社からの評価を落とせばいい。
プライベートでいじめてくるのであれば、物理的に、心理的にブロックすればいい。
このように、大人になっても他人の個性を否定してくる人とはまともに付き合う必要はありません。
あなたの個性は誰にも否定されるべきものではないです。
自分の個性を否定してくる人と関わらない自由があります。
大人であれば、環境を変えるのも自由ですから。
あなたはもう学校で強制的に同じ人といなければならない立場ではないのですから。
ただ、あなたが学生で、自分の個性でいじめられているときは、親に相談し、まず学校と話をするようにしましょう。
もし、学校が隠そうとするのであれば、その上の教育委員会や自治体に話をすればいい。
親と話せばいじめに関して指導するように学校に求めることが出来る。
それを学校側が拒否すれば、教育委員会や自治体という上の組織に指導を求めればいい。
そして、それでも拒否されるようであれば裁判を起こして損害賠償を求めればいいわけです。
裁判を起こすことは訴えること自体に意味があって、いじめが原因で訴えられた学校なんて誰も行きたくないですよね?
いじめを黙認する教師や校長の顔なんて見たくないですよね?
今はSNSでどんどん情報が広がる時代です。
だから、波風を立てて拡散されるようなことをすればいい。
黙って我慢して心の病にかかったら取り返しのつかないことになります。
だから、自分の個性を否定してきて、いじめなどで実害を与えてくるような人と距離が取れない場合は徹底的にやり合ってもいい。
いじめの事実を隠蔽して自分の立場を守ることしか考えていない人も同罪なので、巻き込んでいい。
これが自分の持論です。
他の人と違うことは長所にもなる
他の人と違うことは、時には長所にもなります。
他の人と違うということは、他の人と違う観点で物事を見る力や対応する力が備わっているということです。
だから、うまく利用すると長所として使えるのです。
他の人と違うことをネガティブに考えることは良くありません。
どうやって他の人と違うことを今後の人生に活かしていくか?
そして、どうやって自分らしい人生を生きていくか?
ここをうまく考えていけばいいのです。
例えば、自分の場合は自分の世界に入り浸って一人で楽しむことが好きでした。
だから、他の人とうまく人付き合いをするのを苦手としていたし、自分一人で何もかもやろうとしていたこともあった。
この個性はさすがに会社で仕事をする上で迷惑をかけるものだったので、ある程度是正をしました。
しかし、この個性を完全になくすことは自分は考えませんでした。
そして、自分一人の世界でやっていることを共有しようとしたのが、最初に立ち上げたブログ「汝らビールを愛せよ」でした(このブログは現在は閉鎖しています)。
このブログはブログでお金を稼ぐトライアル的な役割もありましたが、このブログがきっかけで、今皆さんから見ていただいている「お金と心を豊かにするブログ」と3つ目のブログ「SEとPGのためのツールボックス」が誕生しました。
だから、自分の個性はたとえ自分にとってネガティブなものであったとしても活かす方法はあるのです。
他の人と違うことを追求していくと唯一無二の人になります。
つまり、オンリーワンになれるのです。
オンリーワンであることは、特定のことに対してナンバーワンであるともいえること。
だから、他の人と違うことを恥じる必要はない。
むしろ個性としてうまく引き出していけば、自分らしい人生を送るための最大の手助けとなる。
このことをしっかり覚えておいて、自分らしく後悔のない人生を送るようにして欲しいと思います。
自分らしい人生と他の人と同じような人生、当然楽しく過ごせるのは前者です。
なので、他の人と違うことは積極的に活用していきましょう。
今回のお話は以上となります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。