他人の人生を生きることで、自分の人生を不幸にしてしまったり、後悔することになったりする人がいます。
他人の人生を生きることは自分のために生きないということ。
だから、もっと自分のための人生を過ごしたかったと後悔することになるのです。
逆に他人の人生を生きないことは自分の生きたい人生を生きるということ。
自分のやりたいことをやる人生を送り、他人の目を気にしない人生を送るため、自分の行動にやらない後悔が生まれません。
「人生の主役は自分」という言葉を忘れて人生を過ごしても幸せになることはありません。
他人の人生を生きるとはどういうことか?
他人の人生を生きるとは、自分の信念を捨てて生きるということ。
表現を変えれば、他人の言うことを聞いて他人の言われるがままに生きること。
そして、自分を捨てて他人のために生きること。
その中に自分がこうしたいという思いはありません。
他人からこう言われたからこうした。
他人から注意されたからやらなかった。
他人と合わせたかったからこうした。
他人の人生を生きる人の主語は、「自分」よりも「周り」や「他人」が多く出てきます。
だから、自分らしく生きられない。
自分とは何かを見失っている。
そんなことが起きてしまうのです。
「友人がみんな持っているから自分も買わなきゃ」→果たしてそれは自分にとって本当に必要なものなのでしょうか?
自分にとって必要がないものなのに他人の目を気にして買ってしまう。
買い物以外でも同じことです。
他人が皆同じことをしているから自分も同じことをする。
果たしてそれは自分にとって必要な行動なのでしょうか?
自分にとって必要ではないのに、他人の目を気にして他人と同じことをしてしまう。
他人に嫌われたくないから他人の言うことを聞いて自分のやりたいことに挑戦しない。
こうやって常に他人の目を気にしながら生きる。
これが他人の人生を生きるということです。
他人の人生を生きることは、無難ではありますが、平凡で自分の持つ能力をしっかり発揮できない生き方になります。
自分の持つ能力を最大限発揮できないことは後悔の元になりますし、それ以前に本当にむなしい生き方になるのです。
他人の人生を生きないようにするための方法
他人の人生を生きないようにするためにはいくつか守らなければいけないことがあります。
まず一つ目は自分は自分であるということを強く認識することです。
他人と自分は同じではありません。
自分にしかない能力や才能、考え方などがあります。
他人と合わせてもそれで正しいとは限りません。
多くの人が賛成しているからと言って、その考えが必ずしも正しいとは限らない。
多くの人がいる方に自分もいると安心するかもしれない。
しかし、その安心こそが自分らしく生きることの邪魔になり、他人の人生を生きることになるのです。
自分のやりたいようにやればいい。
例え少数派でも別にいいと思います。
少数派になるということは自分と他人が異なる証拠。
この少数派にいることを楽しむためには、自分は自分であるという認識を強く持たないといけません。
この気持ちがなければ少数派でいることに対して怖くなってしまい、多数派の方に逃げてしまうのです。
二つ目は人から嫌われる勇気を持つことです。
本当の親友であればあなたが何をしようと応援してくれます。
何かをチャレンジする時に心配して反対の意見を言ってくるかもしれません。
それに対し、「それでもやはり自分はこうしたい」と言った時に手のひらを返して批判してくる人は本当の親友ではありません。
表面上だけの友人です。
本当の親友は「あなたがそこまで思うのであればやってみたら? 応援するよ。」と言ってくれることでしょう。
他人の行動を批判するのは簡単なことで誰にでも出来ることです。
しかし、自分と異なる価値観である人を受け入れることは難しい。
でも、本当に大切な人であればあなたが何をしようと(ギャンブルなど自分をダメにすること以外)、あなたの行動を支持してくれます。
しかし、どんなに言っても自分の意見を押し通してこようとする人、そんな人との人間関係は幻に過ぎません。
一見まともな人間関係に映るかもしれませんが、見方を変えるとそれは自分のことを考えてくれず、見返りを求めるだけの人間関係だった。
そんな人間関係は切ってしまってもいいのです。
表面上の人間関係(つまり見返りのために作られた軽い人間関係)を切って嫌われても、あなたの人生に実害はありません。
むしろ余計な気遣いをせずに済むため身軽になります。
自分のやりたいことをやる。それが自分の人生を生きるということ。
他人の人生を生きるための方法の三つめは最も大切なことです。
それは、自分のやりたいことをやれる人生にすること。
自分に対して年齢やお金などを言い訳にして、やりたいことをやらない人生はどうか送らないようにして欲しい。
本当に自分がやりたいことは、自分の体がしっかり動いてくれる限りいくつになってからでもやることが出来ます。
60歳を過ぎてから自分のやりたいことを始める人もいる。
それに比べると、30代、40代、50代というのは若いですよ。
チャレンジするのに遅いと言える年代ではありません。
そして、自分のやりたいことを恥ずかしがらないこと。
他人の目があるから恥ずかしく思えるのです。
他の人と違ったことをする自分が恥ずかしい。
確かに奇抜な服装で街を出歩くと他人の視線を集めるために恥ずかしく感じるかもしれません。
でも、そんな変なことをしない限りは、自分のやりたいことは他人の目を気にせず自由にやればいい。
恥ずかしさというのは他人の目を気にするから感じるものです。
だから、自分のやりたいことをやることで他人にどう思われるか、そんな考えを持っているのであれば、いったん他人の視線をシャットアウトしてみるといいでしょう。
自分もイラストを最初に描いた時は美術1を取ったとことがある位下手だったので恥ずかしかった。
でも、自分なりに努力することで3年くらい描き続けているときちんとしたイラストが描けるようになったのです(背景は相変わらず下手ですが)。
ブログもそうです。
自分の文章を他人が読んでどう思うかを考えると恥ずかしかった。
でも、自分の考えを自分の言葉で伝えることは大切だと思ったので、書く決心をしました。
そして、しばらく続けていると何とも思わなくなりました。
この恥ずかしさを乗り越えることが難しいから自分の人生を生きている人は少ないのかもしれません。
しかし、恥ずかしさを乗り越えられたら、本当に気分が楽です。
自分がやりたいことを他人の視線を気にせずにできますし、上達していくにつれ自分の自信に変わってくる。
そして、さらに上を目指すため、やり方を変えながら本当の自分らしい生き方に到達するのです。
本当に自分らしい生き方が出来るようになった人は強いです。
自分の軸がしっかりしており簡単には折れません。
自分の軸に従って真っ直ぐにやるだけだと周りから頑固者に見えるかもしれませんが、理想は自分の軸としている部分以外は周囲の変化を取り入れてもいいと考えることです。
そうすればただ我が道を行く人ではなく、時代の流れに沿いながら自分がやりたいことも出来るという理想の人になれる。
自分のやりたいことをやってきて追求した来た人が様々なものを生み出してきたのです。
もし、それらの人が他の人に合わせるような生き方をしてきたら、今はこれほど豊かになっていなかったでしょう。
自分らしい生き方をすることはそれだけ人生をいい方向に変えるということです。
自分らしく生きるために熱中するものが人の役に立つものであれば、他の人もそれだけ幸せになれます。
何かに熱中するものがある人というのは、それだけで輝いて見える。
多くの理解者は現れないかもしれませんが、よき理解者にはいつか出会えます。
このよき理解者に出会えることで、人生は上昇気流に乗ってどんどん良くなっていくのです。
これも他人の人生を生きずに自分の人生を生きる上で知っておくべき重要なことです。
今回のお話は以上となります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。