人の心を傷つけることは、頻度が高くなくきちんと心を傷つけた相手に謝罪できればそこまで相手にストレスを感じさせることはありません。
悪意を持って人の心を傷つける場合、悪意をやってやっていることが自分にもわかっているため、注意や処罰をすれば当人が反省し、人の心を傷つける行為をやめる可能性があります。
しかし、悪意がなく人の心を傷つける、他意がなく人を傷つける行為をする人はその人に悪いことをしている自覚がないので、注意されても自分の行動に心当たりがなく、改善が難しいです。
それに、他意がなく人の心を傷つける人というのは、無意識に人の心を傷つけるので、自分がそのことに気付かないとずっと人の心を傷つけてしまいます。
他意がないからと言って人の心を傷つけていいわけではなく、むしろ積極的に止めていかないと他人の心を傷つけまくって大変なことになるのです。
目次
人の心を傷つける行為は、心を傷つけられた相手に長年消えない不安や恐怖の心を植え付ける

他意がなく人の心を傷つけることを語る前に、まずは人の心を傷つけることそのものに焦点を置いてお話ししたいと思います。
人の心を傷つけることは、あってはならない行為です。
人の心を傷つける行為は、悪口を言う、無視をする、精神的な暴力や肉体的な暴力など様々ありますが、いずれの行為を受けるだけでも相手の心は傷つきますし、時として一生心に残る深い傷を負うことになります。
そして、その心の傷は癒えるどころか時に不安や恐怖に変わり、さらに心を蝕む猛獣のような存在になります。
なので、心を傷つけられた人は、何もしないでそのまましておいて自然に心の傷が癒えることはなく、さらに心の傷が深まる可能性があるため、心を傷つけられたことを一生忘れることが出来ないのです。
これがいじめられた人がいじめられたことを一生忘れない原因になっており、パワハラを受けた人がパワハラを受けたことを一生忘れない原因になっているのです。
いじめをした人は特に自分の心に傷を負うことはないため、すぐに忘れることが出来ます。
しかし、いじめられた人、特に心に傷をつけられた人は一生その心の傷を背負っていかなければならないのです。
なので、心の傷をつけてしまった相手に対しては適切なフォローを行い、心の傷の原因を取り除かなければなりません。
心の傷の原因を取り除くと心の傷は癒えます。
放置しておくと先ほどお話した通り、心の傷は一生残り続けます。
心の傷は体の傷とは違い、自然治癒力を持たないのです。
他意がなく人の心を傷つける人の存在が悪意を持って人の心を傷つける人よりも悪い理由
悪意を持って人の心を傷つける人は、自分が悪いことをしていると理解してあえて人の心を傷つけています。
悪いことをしている自覚があるので、注意や懲罰で改善する可能性があるのです。
それでも改善しない人はいますが、その場合は明らかに悪い存在として浮いているので、組織から除外するか、重い金銭的なペナルティ(心が傷つけられた人が慰謝料を請求するなど)を課すことで、人の心を傷つけることが大変な問題であることを自覚させることが出来ます。
しかし、他意がなく人の心を傷つける人はそうはいきません。
悪いことをしているという自覚がないので、注意しても心当たりがないためになぜ注意されているか分からないのです。
自分の行動が人の心を傷つけていることすら気づいていないかもしれません。
会社で管理職をやっている人の下で働く部下が、なぜか定着せずに辞めていく現象があります。
この原因は部下の心をその管理職の人が傷つけているからということも多いのですが、その管理職の人に聞くと「部下をいじめている自覚はない。自分の発言は正直に話しているだけで他意はない」と返ってくることがあります。
自分にとって普通の態度として人の心を傷つけているので、なかなかそういう人に人の心を傷つけているということを伝えるのが難しいですね。
それが原因で、お咎めなしに放置されることが多く、他意がなく人の心を傷つける人は自分の行いが原因であることに気づかず、他の人の心を傷つけることをやめません。
他意がなく人の心を傷つける人が悪意を持って人の心を傷つける人よりも悪い理由は、注意しにくいこと、心を傷つけている本人が自覚をしていないため自分から改善するのが難しいこと、そして自分の行動が正しい行いと判断して人の心を傷つけていることにあります。
パワハラをする上司が「ただ指導をしているだけでパワハラをした自覚はない」と言うことがありますが、これもまた問題となっています。
指導として厳しく熱が入ることはあり得ることですが、これが通用するのは体罰を学校で受けてきた氷河期世代くらいまでで、それ以降のミレニアル世代やZ世代は普通にパワハラと見なします。
なので、自覚がないからと言って指導のやり方を変えないのはクラッシャー上司と見なされ、部下が離れていく原因となるのです。
他意がないから人の心を傷つけていいというわけではない
他意がないから人の心を傷つけて良いのかというと、そうでなないと断言できます。
他意がなく人の心を傷つける人は悪意がなく人の心を傷つける人なので、指導として放置されがちではありますが、放っておくとその人の周りから人が居なくなります。
会社の場合、他意がなく人の心を傷つける人からは部下が離れていなくなっていきますし、プライベートの場合、無意識のうちに人が傷つく言葉を放ってしまって、その人の周りから人が居なくなってしまいます。
また、心を傷つけられた人にとって、悪意があったかどうかは関係ありません。
心を傷つけられたという事実だけが問題になります。
心を傷つけられた人にとって、「悪意はなかった」、「他意はなかった」と言われても納得が出来ることではないのです。
心を傷つけられた人が求めるのは、心に傷をつけた人からの謝罪や適切な賠償であり、それ以外のものでは解決しません。
他意が無くても人の心の傷をつけられた事実は消えませんし、言い訳にすらなりません。
他意がなく人の心を傷つける人の改善のやり方

他意がなく人の心を傷つける人は、改善させようとしてもかなり厄介です。
もともと悪いことをやっている自覚がないので、注意しても「なぜ俺が?」となり、反省すらしてもらえないこともあります。
改善する方法としては、他意がなく人の心を傷つける行動で実害が出ていることを認識させるしかありません。
最初は素直に受け入れてもらえないかもしれませんが、実害が出ているという結果を見せることで、反省してもらうように仕向けるのです。
悪気が無くて人の心を傷つけることはとても残酷な行為です。
悪気がなかった、他意はなかったでは済まされるようなことではありません。
「なぜ部下が次々やめてしまうのか、自分の態度を振り返ってみな」などと、自分の行いを振り返る機会を持たせ、自分自身を変えてもらうことが大切になります。
こちらが完全に否定してしまうと、今度は他意がなく人を傷つけてしまう人の心を傷つけてしまうことになります。
これもあまりよろしくないことです。
なので、どこがいけなかったのかを自分の力で気付かせ、自分の態度を改めてもらうことが大切になります。
一番ダメなのはお咎めなしで放っておくことです。
他意がなく人の心を傷つけてしまう人は、その理由を自分自身で理解していません。
時間が経っても何も変わらないのです。
なので、まずは人の心を傷つけていることを認知してもらうこと、そしてその上でどうすればいいか改善案を考えてもらい、周りのフィードバックを得ながら改善していくこと。
他意がなく人の心を傷つける人は、自分が変わろうと思えば状況を変えることが出来ます。
なので、「自分を変えるしかない」状況や「自分を変えたい」状況を作り出し、そこから人の心を悪気がなく傷つける行動から、人の心を傷つけない行動を取るように変えるように仕向けると、うまく変わってくれるのではないかと思います。
それでも「変わりたくない」、「自分が正しい」と言うような自分の態度を変えることが出来ない人は周りに害しか与えないので、人との関わりを持たせないようにするか、縁を切った方がいいでしょう。
そういう人は孤独になってから初めて自分の過ちに気づくものですから。
今回のお話は以上となります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。