人に何かを求めるのであれば、自分も人に求められたら応えられる人になるべきである。

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人に何かを求めるのであれば、自分も人に求められたら応えられる人になるべきである。

自分は大したことがない人なのに、人に何かを求めてばっかりの人が居ます。

幼い頃から社会人10年目くらい頃の自分もそのタイプの人だったのですが、自分の心が成長してから、自分にないものは自分がそのことに関して努力してこなかったからだと思うようになりました。

そのような心の成長を経てから、改めて人に何かを求めてばかりの人を見てみると、やはりその人の心の成長が足りていないと感じることが多々あります。

受け身で、わがままで、人から何かをしてもらって当たり前だと思っている。

これではいつまで経っても貰うばかりで心の成長はありません。

心の成長がないということは、何かを与えてくれた人にお返しをするのに相応しい心にいくら歳を重ねてもならないということになります。

人に何かを求めるのであれば、相手に何かを求められた時に応えられるような人になっておくことが重要なのです。

人に何かを求めること自体は悪くない。求めるだけというのが悪いのだ。

人に何かを求めるということ自体は悪いことではありません。

自分が出来ないことを他人にヘルプを求めるのは仕事でもプライベートでも必ずあることです。

自分にないものを他の人が持っていることはありますし、その逆のこともある。

だから、他の人から求められたらそれに応えればいいだけなのです。

しかし、人に何かを求めるだけの人は、そこまでの心の成長がなく、自分が持っているものも多くはありません。

本当は自分が人を助けられる力を持っているのに、人から求められるとそれを拒否する人もいます。

めんどくさい

などと理由を付けてですね。

そういう人は他の人から距離を置かれ、孤立化してしまいます。


人に求めるだけだと一方的な人間関係になります。

自分は助けて欲しいけど、他の人は助けないなんて道理は通りません。

それに、人に求めるだけだと自分の成長がなく、自分の心を育てていくことが出来ません。

自分が人に何かを求める分、自分も何かに励み、売りとなるものを身に付け、人から求められても力になれるようにしておくのが、良い人間関係を築くのに必要ですし、チームワークでも必要なことになります。

自分に足りないものを他の人にやってもらい、他の人に足りないものを自分が引き受けるという仕組みが出来れば理想的ですが、自分が求めるだけだと、この状態になることはまずありえません。

他の人に一方的に頼ることに対する代償は大きい

自分が他の人に求めるだけという人は世間が自分の思い通りに何でもやってくれると勘違いしている印象も受けます。

もちろん、お金などの相応の対価を払えば求めることをやってくれる人はいますが、お金も地位もない人が他の人に求めるだけだと、次第に避けられるようになります。

そう、某漫画のセリフのように「世間はお前の母ではない」のです。


子供の頃は親に頼むことで欲しいモノを買ってもらえるということもあったことでしょう。

しかし、大人になってからは親に何かを頼んで買ってもらうということは、きちんと自立した生活を送っている人であればまずないはずです。

30代、40代にもなって親と同居して、正社員の職につかず、パートや派遣などの低収入の仕事をして、親のすねをかじっている人が居ますが、この人たちを見ると「痛い」の一言しか出てきません。

普通の人から見ると明らかに浮いた存在に見えますし、親が亡くなったら自分の力で生きていけなくなる未来が容易に想像できます。


普通の人は社会人になってから、仕事で自分の壁に突き当たっても乗り越え、先輩や上司の厳しい指導を潜り抜け、成長することで立派な社会人となっていくのです。

しかし、他の人に求めてばかりの人は仕事で自分の壁に突き当たっても自分で乗り越えようとする努力をせず、他人に代わりに乗り越えてもらい、先輩や上司の厳しい指導をパワハラと言って退職代行で辞めてしまう。

その結果、成長の機会を見逃し続け、年齢相応のスキルが身に付かない状況になってしまいます。


なぜそう言い切れるかというと、自分自身がそんな経験をしたからです。

流石に厳しく指導して今の自分の基礎を作ってくれた会社をパワハラで退職代行を使うことはなかったのですが、30代前半までは他の人に頼りきりであり、自分で努力をしようとしない人でした。

そのため、何もスキルが身に付かず、30代半ばになってようやく最低限のプログラミングが出来るという状況でした。

しかし、同年代はプログラミングが出来るのは当たり前で、どうやれば質の良いものを納品できるか、どうやれば仕事を効率化できるかを考えながら仕事をすることが出来る人ばかりで、新人に能力を越されるという最悪のことも経験しました。

自分はこのことにショックを受けましたが、もしこれで何も思わず他の人に頼りきりの性格が治らなかったら今の自分はなかったことでしょう。

ニートになっているか、アルバイト生活すら怪しくなっていたかもしれません。

それくらい、他の人に一方的に頼ってばかりの人生を過ごすのは代償が大きいのです。


自分が出来なくても他の人がやってくれるだろう、ではなく、自分が出来ないことを他の人に一度任せ、その人の対応の仕方を見るなりして自分も出来るようにしておく(苦手であれば無理して人並みに出来るようにする必要はありませんが、他のことで自分の売りとなるものを伸ばしておく努力はしておく必要があります)。

また、他の人が出来なくても自分が出来ることは積極的に引き受けて自分の長所を伸ばしておく。

そうすることで、他の人に頼る自分から他の人に頼られる自分に変わっていくのです。


もしこの努力をせずに他の人を頼ってばかりの生活を送ると、その人の心の成長は親に育てられていたころのレベルで止まってしまいます。

いや、逆に幼児化するかもしれません。

そうなってしまうと、誰も面倒は見てくれないのです。

大人になると、自分に対しての最低限の面倒は自分で見なければなりません。

世間はその人の親ではないし、その人がどうなろうと知ったことではないのです。

欲しいものがあれば自分で稼いだお金で買うのが当たり前だし、食べ物も自分で食材を買って用意するか、お金を払って外食する。

いつまでたっても他の人のお世話になりっぱなしというのは世間では通用しません。

最低でもギブアンドテイクが出来ないと、世間を生き抜いていくことは出来ないのです。

人に何かを一方的に求める考えは改めて、お互い求め合うような人間関係を目指すべき

人に何かを一方的に求める考えを持つ人は一定数存在します。

例えば、婚活で結婚相談所を利用すると、厳しい条件だけを提示して自分が相手に何を与えられるかと聞かれると、何も答えられない人を見かけます。

そして、ニートで家に引きこもっている人は親に何かを求めるだけで、自分が親に何をしてやれるかを考えていません。

火垂るの墓の映画でも清太は叔母の家で妹と遊んでばかりで学校にも行かず、叔母の家の手伝いをせずに、当時戦時中で苦しい時期にみんなが国のために努力している中、何も努力しようとせず、叔母にうざがられて冷たい扱いを受けてしまいます。

このように、相手にばかり何かを求めるだけではだめなのです。


もし自分が付き合っている人の中で、自分にばかり何かを求めてきて相手からは何もしてもらえない場合、その人の人間関係は切ってください。

その人間関係は何も利益をもたらしません。

そして、もし自分が他の人に求めてばかりで何も他の人の力になれていないなと思う場合は、何か売りとなるものを身に付けるために努力をしてください。

その姿勢を見て協力してくれる人が出てきますし、お互い助け合う関係を築ける人が出てきます。

最もダメなのは、他の人に頼りきりで、受け身で、何もしないこと。

こんな生活を送っていたら、次第に世間から浮いた存在になって、常識も知らない、自分のやるべきことをしないのに主張だけは一人前という最悪な人になってしまいます。

そうならないためにも、人に何かを求める代わりに、自分が他の人から求められることが出来るような人になること。

人に何かを求めること自体は悪くないので、人に何かを頼むのはやっても構いません。

むしろ自分一人で抱え込んでやってしまおうとする方が心と体に負担がかかって良くないです。

助けて欲しい時は他の人に頼ってもいい。

でも、他の人に頼られた時はしっかりと応えること。

これは基本的なことですが、人によっては意外と難しいことかもしれません。

しかし、この基本的なことが出来れば人生がうまく行く大きな要素となりますので、意識してこれからの人生を送るようにし、他の人から求められたことに応えられるよう、きちんと自分を成長させる努力を怠らないよう、心がけをして行動をすることが重要です。

今回のお話は以上となります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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