今回は『ユダヤ人の成功哲学「タルムード」金言集』より「愚かな農夫」という話を紹介します。
この農夫は愚かといわれるので本当に愚かなことをしているのですが、いったい何をしたのか?
注目しながら話の内容を読んでほしいと思います。
自分がこうなっていないかという点にも注目していただければと思います。
「愚かな農夫」の話の内容
あるところに愚かな農夫がいました。
工作用の牛と荷物運搬用のロバに同じくびきをつけて牛とロバを一緒に進ませようとしました。
しかし、二匹の足並みがそろわず、足並みを止めてしまいました。
農夫は「なぜ二匹とも動かないのか」と怒り、牛とロバを鞭で打ち続けました。
そのため、牛とロバは命を落としてしまい、新しく買わなければいけませんでした。
農夫は自分の過ちに気づかず、同じことをやり続けたため、生涯貧しい暮らしから抜け出せませんでした。
異なる個性の人間を一律に扱うな
学校の教育は、異なるタイプの人を一律に教育しようとします。
今は少しは改善されたかもしれませんが昭和や平成の初めごろは特にこの傾向が強かったですね。
自分だけが違うことをしようとすると個性を尊重せず、「みんなやっているのになぜあなたはやらないの?」と言われます。
「ほかの人がやっているから」、「みんながやっているから」という理由で同じことをやれと言われます。
給食の好き嫌いさえ認めず嫌いなものを食べることを強要する(これは教育の名を借りた虐待であり、今同じことをするとクレームの嵐となるでしょう)。
しかし、これでは個性を伸ばすことができません。
十人十色のタイプがいれば十人十色の教育が必要であり、一律の教育をすれば個性をつぶしてしまうことになります。
学業の成績も同じで、例えば数学と理科が得意で毎回満点近い成績を取るが、国語と社会は不得意で50点くらいしか取れない人。
すべての科目で75点くらいの成績を取る人。
どちらが優れているかと聞かれたら後者の人が優れていると答える人も多いでしょう。
しかし、前者の人は他人が真似できないレベルで数学と理科が得意であるわけです。
この個性をうまく活かしてさらにハイレベルな教育をすると将来有能な科学者や研究員、教授になれるかもしれません。
でも日本の学校の教育ではそれをやらないのです。
国語と社会をもっと頑張れというわけです。
また、日本は本当に有能な人に対する投資が全くできておらず、せっかく難関大学を出たのを活かして上を目指そうとしても、きちんと雇ってくれる会社もなく、大学に残れずに非常勤講師をしても給料は雀の涙。
そのため、高学歴ワーキングプアというのが問題になります。
確かに日本人がノーベル賞を受賞することがニュースになることもあります。
しかし、日本にいながらノーベル賞受賞の対象となる実績を出した人は意外と多くはありません。
海外にいる日本人や帰化した人がノーベル賞を取ることは珍しいことではないのです。
日本ではやりたいことができず、海外に出て行ってしまう。
才能を日本で持て余す人は日本にいることに成長の限界を感じて、それ相応の報酬を出してくれる海外に出て行ってしまう。
その人たちは口をそろえて「日本ではやりたいことができないから」と言います。
どんなに優秀でも下積みがあり、いきなり大きなことを任せてもらえない。
優秀な人にもほかの人と同じことをやらせようとする。
しかし、それでは優秀な人は面白くはない。
また、既得利権を手放したくない人の嫉妬により圧力を受けてしまう。
そんな理由で才能に見合った報酬を得たい人が海外に出ていく・・・このことは将来はもっと当たり前になっていくかもしれません。
仕事においても日本のマネジメントは牛とロバに同じくびきをつけて歩かせる行動と同じであると思います。
平凡な人と優秀な人を同じように扱う。
会社側が扱い方を知らないというのもあるが、平凡な人と優秀な人に同じ仕事をさせる。
本当に優秀な人の中には能力的に尖った人もいるため、平凡な人と同じことをしてもあまり優位に立てなかったりする。
また平凡な人とコミュニケーションが合わず、コミュニケーション力不足だとされ、評価を低くされる。
結果として優秀な人は能力が高くてもそれに見合ったフィールドを用意してもらえずに、能力を開花させることなく平凡な人で終わってしまう。
このデメリットは日本の競争力に現れており、日本が優秀な人にきちんと活躍の場を与えないことで、活躍の場をしっかり与えるほかの国に差をつけられたり追い越されたりする。
これが今の日本の現状です。
うまくいかなくても同じことを続けて同じ失敗を繰り返してしまう
愚かな農夫がやったことは異なる個性のある動物に同じことをさせてうまくいかなかったわけですが、他にも問題があります。
うまくいかなかった理由を牛とロバのせいにしたこと、自分がやったことを反省せず「なぜ」の自問をしなかったことです。
農夫は牛とロバに同じくびきをつけて歩かせようとして歩かなかったことに対して、まずは「なぜ」を考えるべきでした。
いろいろと自問自答をするうちに牛とロバが歩くペースが違うので歩調を合わせられないということに気づいたはずです。
しかし、この考えるプロセスを導入せずにただ牛とロバが歩くペースが合わなくて立ち止まったことに対して苛立ち、鞭打ちで虐待してしまった。
そのため牛もロバも失い、また新しく買わなければならなかった。
それでも反省せず、牛とロバが歩かないことに苛立ち、牛とロバを鞭で打ち続けた。
そしてまた牛とロバを買うことになる。
これでは何も進みません。
同じ失敗を繰り返しているだけです。
それに牛とロバを新しく買うというコストがずっとかかり続けてしまいます。
だからこの農夫は貧しいままだったのです。
日本でもこのタイプの人がいます。
それはクラッシャー上司ですね。
クラッシャー上司は部下に鞭打ち続けて部下が耐え切れずに辞めていくということを繰り返すのですが、彼らもまた反省という言葉を知りません。
部下が精神科のお世話になること、辞めていくことに申し訳ないと一切思わず「根性がない。俺の若いころは・・・」と言うだけです。
なぜ部下が辞めていくか、それを考えない。
常に自分が正しいと思っており、改めるという気持ちがない。
本来であれば社長や経営陣がこのことを重く受け止め、適切な処分をする必要がありますが、なぜかこのクラッシャー上司を守るような態度をとる会社も多いです。
仕事ができるため信頼しているのかもしれませんが、上に立つべきではない人間を上に立たせたままの会社というのはどこかで破綻します。
そのためクラッシャー上司が幅を利かせている会社というのは未来のない会社であると言ってもよく、将来の成長も期待できません。
もしクラッシャー上司がいる会社に入社してしまった場合はなるべく早く辞めたほうがいいでしょう。
上に相談や報告をして適切に処分をしてくれる会社であればいいのですが「仕事ができないお前が悪い」、「根性がない」などと言ってくる会社に未来はありません。
愚かな農夫と同じく成功することがないため、長く働くという選択肢はないということです。
まとめ
今回は「愚かな農夫」という話を紹介しながら、日本で同じことが起きているという考察を行いました。
自分がこの話を読んで思ったことはまさに会社のクラッシャー上司の発想であり、会社の成長を妨げる理由になっているのに、自分を省みることがない、そんな上司がいる職場を思い浮かべました。
学校の教育については一部のことに対して天才である人よりもまんべんなくできる人が優れているという間違った教育をしてきたツケが今になって回ってきていると感じています。
日本で活躍している人が海外に出ていくことが多い。
これは天才と凡人に同じくびきをつけて歩かせる日本の環境が嫌になったからでしょう。
日本の社会では天才が平凡な人に合わせるように出来ていて、それが「日本では自分がやりたいことができない」という思いを抱かせて海外に出て行ってしまうようです。
「出る杭は打たれる」ということわざのような横並びが正であるという考えを捨てて、自分の長所を伸ばす学びをしっかり行い、新しいことをどんどん取り入れていく。
今後は他国との競争を行う場合は今までのように天才が凡人に合わせることをやっていては競争に勝てません。
個性が強くて会社でいることが窮屈であるならば、せめて自分の時間を持てる職場で働き、自分の時間を確保しながら自分の個性を伸ばす時間を取ってみてください。
最近は幸いなことにスタートアップ企業を中心に優秀な人が働きやすい環境も整いつつあります。
平凡で終わりたくなければあえてほかの人と違うことをすることも重要ではないでしょうか。
天才もその能力を活かす挑戦をしないとただの人です。
自分も発達障害で精神面の成長が遅れていたことにより個性が強すぎていじめられ、嫌われていた時期がずっと続きつらい思いをしました。
なので、同じ境遇の人がいればその人の背中をそっと押したくなります。
どうか牛とロバに同じくびきをつけて歩かせるような個性をつぶす環境に身を置かないように、個性的な人や天才的な人は自分をしっかり守って過ごしていってほしいと思います。
今回のお話は以上となります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。