過度な他者への承認欲求は捨てろ

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過度な承認欲求は持ってはいけない。人の目を気にしすぎると自分のやりたいことが出来なくなる。

今回は過度に承認欲求を持ってはいけないことをお話しします。

承認欲求は完全に捨てることはできませんが、承認欲求に自分をコントロールされてしまうほどの強い承認欲求を持ってしまう人がいます。

しかし、この強い承認欲求を持ってしまうことが自分の人生を縛ってしまうことになり、自分らしい生活を送ることが出来ずに、幸せな人生にならない可能性があります。

そこで、今回は承認欲求は過度に持ってはいけないことをお話しします。

承認欲求とは?

そもそも承認欲求とは何でしょうか?

一般的には承認欲求とは他人から承認されたいという欲求。

つまり、他人からよく見られたいという欲求のことです。

SNSをやっている方は心当たりがあると思うのですが、いいねをたくさんもらいたい、リツイートをしてもらいたいと思ったことがないでしょうか?

これは承認欲求の一つであり、いいねがたくさん付くことで、他人から認められているという感じが得られるわけです。

また、仕事をしていて上司に評価されたいというのも承認欲求の一つと言えます。

仕事で上司に認められる、SNSでいいねをたくさんもらう。

これらは仕事やSNSを続けていくうえでのモチベーション維持に大切なことです。

つまり、承認欲求のすべてが悪というわけではありません。

薬と同じで、過度に承認欲求を持つことが問題なのです。

過度な承認欲求とは?

過度な承認欲求とは?

過度の承認欲求とは、他人から承認されたいという思いが強すぎる状況のことです。

他人から承認されたいと思うこと自体は悪くはありませんが、承認欲求を強く持ちすぎると承認欲求に自分を縛られるようになります

承認欲求を持つことで何も不自由がなければ問題はありません。

しかし、承認欲求により、「あれをしなければ」、「これをしなければ」という気持ちが湧いてくるようであれば、承認欲求を持ちすぎている状況になっています。

自分のやりたいことを好きなようにやりたいのに、いつの間にか義務感でやるようになっている。

これでは楽しくありません。

次の章で過度の承認欲求を持った場合のデメリットをお話ししていきます。

過度な承認欲求を持つことのデメリット

過度な承認欲求を持つことで以下のようなデメリットがあります。

  • 他人にストレスを与える
  • 自分にストレスを与える
  • 自分の人生を生きていけなくなる

まず、他人にストレスを与えるということですが、「自分を認めてほしい」という気持ちが強い承認欲求が強い人の行動は、自分から行動するという点では悪くはないのですが、「自分がこの実績を出した」、「自分がこれをやった」というアピールが強いので、あまり周りからいい気持ちで見られません。

また、人の目を気にした行動しかしないので、人の目につかない地味な作業を嫌います。

そのため、評価に結びつかなさそうなことをやりたがらず、必要な仕事なのに平気で断ったりします。

これが人間関係を悪くすることに繋がり、周りの人がストレスを抱える原因となります。


さらに質が悪いのが、他人を下げて自分を上げて自分を認めてもらいたいという承認欲求を持っている場合です。

こういう人は他人を蹴落としてまで自分を認めてもらいたいと思っているので、他人を悪く言う場合も少なくありません。

他人を悪く言うということは、悪く言われた人に不快感を与えることになり、ストレスを与えることになります。

仕事であればこういう人が一人いるだけでも職場の雰囲気が一気に悪化します。

いわゆる腐ったミカンとなってしまうのです。


承認欲求を強く持ちすぎると自分にとってもあまり良くありません。

人に認められることを追いすぎるばかりに、本当は自分がやりたくないことまでやってしまうことにもなります。

バズることを目的に危険なことや犯罪一歩手前のことをやる。

本当はやりたくないのにいいねや他人の評価を気にして、無理をしてお金をかけたものや出来事をSNSに投稿をしたり、動画サイトに動画を投稿したりする。

これが自分にストレスを与えるため、承認欲求を強く持ちすぎることは、自分を幸せにすることに繋がりません。


承認欲求が強すぎると、他人の評価が自分の評価みたいな感じになってしまいます。

他人から認められること、これが自分を評価するための大半の基準になってしまうのです。

他人から認められることばかりを追いすぎると、自分自身を見失います。

普通の人であれば自分の中にこういう自分でありたいと思うものがあると思うのですが、承認欲求が強すぎると他人からよく見られたいためにこうありたいというものに変わってしまうのです。

つまり、自分の信念というものがない状態になってしまいます。

自分の信念がない状態で生きているということは、自分のために生きていくという状況ではないということ。

つまり他人を優先にして、自分の人生を歩めていないということになります。


このように、承認欲求自体は悪いものではありませんが、承認欲求を強く持ちすぎることは副作用を伴うことになります。

しかも、中には自分の人生で取り返しがつかなくなるものがあるため、承認欲求を持つことはほどほどにしておかなければなりません。

こんな承認欲求は捨てたほうがいい

承認欲求は「誰かに認められたい」という他者への承認欲求と、「自分自身を認めたい」という自分への承認欲求があります。

この2つのうち、「自分自身を認めたい」という自分への承認欲求は捨てない方がいいでしょう。

自分自身を認めることが出来るのは自分しかいません。

なので、「自分自身を認めたい」という気持ちは大きな心の支えとなり、向上心を持つためにもとても大事な気持ちなのです。

自分を認めるために何かを頑張るという行動は素晴らしいことなので、「自分自身を認めたい」という気持ちは絶対に捨ててはなりません。

この気持ちがないと自分に鞭を打ち続けてしまい、自分の心が疲れて最終的に燃え尽きて動けなくなってしまいます。


誰かに認められたという他者への承認欲求ですが、これが過剰であると、自分のメンタルや他者との人間関係に影響します。

基本的に他者に認められるにはそれ相応の実力が必要なのですが、その実力を身に付けずに誰かに認めてもらおうと行動しすぎるのは、自分自身にとってマイナスとなります。

「自分が、自分が」の状態となり、自分に認めてもらおうと行動しすぎるため、相手も気を遣いますし、相手の話も聞かないので、他人から見るととても面倒な人に映ってしまいます。

また、自分も相手のことを考えすぎるので疲れてしまいます。

自分自身にも、他人にもメリットがないことです。


他人に認められたいから努力する→その結果他人から認めてもらった。

これは良いレベルの承認欲求なので捨てるべきではありません。


他人に認められたいから今の自分を偽って大きく見せる→他人からうざいと思われてしまう

こうなるのであれば、その承認欲求は捨てるべきだと思います。

自分のことについてはいくらでも話すのに、他人の話は聞かない、悪いところを指摘すると機嫌が悪くなる。

これでは他人からわがままと思われても仕方がありません。

他人に承認してもらうどころか逆効果となります。

誰かに承認してもらいたいという気持ちは適切な表現のし方をしなければなりません。

相手に認められたいからと言って、自分本位の考えを押し通すような表現方法は取ってはならないのです。


基本的に相手や周りの人、世間の人によく見られようとしすぎることは良くないことです。

疲れますし、自分がやりたいことが出来ません。

酷い時には本当は自分がやりたくないのに自分がやりたいことをやっているかのような錯覚が起きることもあります。

自分がやりたいことをやって、それを自分で認めてあげる。

周りから理解されなくてもいい。

多くの人から良く思われることよりも自分と同じ趣向を持った人に良く思われることを重視した方がいい。

それ以上深追いすると、自分の承認欲求のために本当の自分を偽って生きてしまうという不幸な時間を過ごすことになります。

もし、自分がどうありたいか、どのような目標を持っているか、それが分からないのであれば他者への過度な承認欲求を捨てて、自分自身を見直してみる必要があるでしょう。


本当に人から良く見てもらいたい場合は相応の努力が必要です。

誰でもできるような安易な方法で人から認めてもらおうとしても失敗するので、きちんと自分の芯が持った状態で自分なりの見せ方をして人から認められるようにした方がいいでしょう。

この考え方を持っていないと、承認欲求のために周りに振り回され、自分らしく生きること、自分が成し遂げたいことが出来なくなります。

承認欲求に振り回されるようなことにならないためには、他人の真似をすることなく自分なりのやり方で評価してもらえる人生が一番自分にとっていいものになるとなることを理解し、周りからどう思われているかに過剰に反応せず、自分らしく生きることが重要です。

周りからどう思われているかということは、ただそれだけでは一円の価値も生み出しません。

自分のやり方を貫き通し、そのやり方に賛同した人から評価される。

これくらいで十分なのです。

今回のお話は以上となります。
最後まで読んで頂きありがとうございました。

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