どんなお金もお金はお金。
お金に色は付いていません。
しかし、ギャンブルで得たお金については気を付けたほうがいいでしょう。
ギャンブル(特にパチンコ、パチスロ)で得たお金は、正しい方法で得たお金ではありません。
また、ギャンブルは負ける人が多く、一部の人だけが勝つ運要素が大部分を占めるものです。
そのような方法で得られたお金には確かに色は付いていませんが、負けた人の怨念が込められたお金になっているのです。
今回の話はオカルト的な要素を含みますが、自分の実体験上ではギャンブルに勝ったお金に怨念が込められるのは本当だと思っています。
オカルトを信じない方にはあまり刺さらない記事かもしれませんが、霊や怨念と言ったものを信じている人には「ギャンブルで勝ったお金は怨念が込められている」と信じることで怖さを感じてもらい、一刻も早くギャンブルから足を洗ってほしいと思っています。
目次
ギャンブルはマイナスサムゲームである

ギャンブルはマイナスサムゲームです。
マイナスサムゲームとはゲーム参加者から集まったお金から胴元がお金を引いてゲーム参加者に再分配するゲームのことです。
そのため、マイナスサムゲームに参加したゲーム参加者はゲームに参加した時点で戻ってくるお金の期待値が投資したお金よりも少なくなってしまいます。
つまり、一部の人が勝ち、多くの人が負けるということが起きるのです。
ギャンブルは借金をしてでもやる人もいれば、お金が無くなって生きる希望を失った人が自ら命を絶つこともあります。
また、ギャンブルに負けるとギャンブルに勝った人に関して妬みや恨みの感情を持つことがあります。
そのため、ギャンブルに勝って手に入れたお金はこのような人の怨念が込められていると考えてよく、その怨念はギャンブルでお金を手に入れた人をおかしくします。
折角ギャンブルで勝ったお金をまたギャンブルに費やしてしまい、ギャンブルに勝った感覚が忘れられずにギャンブルに頻繁に足を運ぶようになります。
この話に科学的根拠はありませんが、自分が実際にパチンコやパチスロにはまっていた頃を思い出すと、怨念にまみれたお金というのは実際に存在していたと言ってもいいくらい、何かにとりつかれたようにパチ屋、スロ屋に毎日のように通っていたのです。
怨念が込められたお金は手に入れた人を再びギャンブルの場に導く

怨念が込められたお金は人をおかしくします。
先ほどお話ししたように、パチンコ、パチスロに勝って得たお金は再びパチ屋に導くようになっています。
他のギャンブルも同じで競馬で買ったお金は再び競馬場に、ボートレース、競輪も同じようにボートレース場や競輪場に足を運ばせるようになっています。
これは勝ったお金をさらに増やそうとする心理が働くことが原因ですが、もう一つ厄介なものをギャンブルで勝った人の頭に刷り込ませます。
それは「負けてもまたギャンブルで取り返せる」っということです。
この考えにより、ギャンブルで勝った人はさらに勝つために、ギャンブルで負けた人は勝って負け額をチャラにするために、ギャンブルで大負けした人は少しでもギャンブルの負け額を減らそうとするためにギャンブルをやり続ける。
それは単純にギャンブルをやる人の心が弱いだけではありません。
ギャンブルに勝って得たお金に込められた怨念が、ギャンブルに勝った人を再びギャンブルに引き込もうとする。
そして、ギャンブルで無残な末路を迎えた人たちの怨念が同じ境遇になる人を増やすために、まだ健全と言える人を引き込んでいくのです。
その末路として自分も底辺の立場となり、他の人を恨み、それでいて自分の人生の舵取りを自分で出来ないように落ちていくのです。
繰り返しますが、ギャンブルは一部の人が勝ち、多くの人が負けるゲームです。
そして、多くの負けた人は一部の勝った人に妬みや恨みという良くない感情を持ち、その感情がギャンブルで買ったお金にも移るというのは特に不思議なことではありません。
現実として十分に起こりえることなのです。
なお、ギャンブルで勝ち続ける人もごく一部でいますが、そういう人にもきちんと怨念が伝わっています。
着実にお金を貯金して資産を築くことなどできず、勝ったお金で生計を立て、軍資金の分しか残しておけない。
また、勝つためのロジックをしっかり守り勝ち続けたとしても、ギャンブルの胴元がルールを変えればそれに伴い、勝つためのロジックを変えなければならない。
もし、そこで勝つためのロジックを変えることが出来ないとなると、今まで勝ってきた分の反動がやってきて今度は全く勝てなくなり、貯金はあっという間に底をつき、ギャンブルだけでは生活していけなくなる。
なので、ギャンブルに勝ったお金は常にギャンブルに勝った人の足を引っ張ろうとするわけです。
宝くじもギャンブルの一つですが、宝くじで一等に当たった人が見事なまでに落ちぶれる様子は、まさにギャンブルに勝ったお金に足を引っ張られ、お金が無くなっていくように仕向けられているとしか思えないような末路をたどることになります。
ギャンブルをする人にはいろんな人が居ます。
趣味の範囲でギャンブルをする人はそこまで怨念を持っていません。
しかし、生活がかかっている人、借金をしてギャンブルをする人は確実にギャンブルに勝つ人に妬みや恨みという怨念の元となる感情を抱いています。
ギャンブルをする場所には負の感情が溜まりやすく、それが大きな怨念の塊となり、ギャンブルで買ったお金にもその怨念が乗り移ります。
それがゆえに、ギャンブルをする人、特に大きく勝ってしまった人はこの怨念を持つお金を多く持ってしまい、ギャンブルにのめり込むようになることで、怨念に引っ張られる形で地位や信頼を落として、自分の立場をどんどん悪くしてしまうのです。
ギャンブルで勝ったお金と性格

ギャンブルをすると何かに憑りつかれたように性格が悪くなる人が居ます。
そう、何かの負のエネルギーをもらってきたかのように。
自分は、この負のエネルギーはギャンブルに勝った時に連れて帰ってくるものだと思っています。
お金に込められた負の怨念が、ギャンブルをする人の性格を変えてしまうのです。
勝っている時は金遣いが荒くなり、負けてしまうとお金とギャンブルのことしか考えられなくなる。
これは、お金に込められた怨念による一つの呪いと言ってもいいでしょう。
ギャンブルをしていても性格が変わらない人が居ますが、その人はギャンブルと適度な距離を取っていて、ギャンブルの勝ち額、負け額ともに低く抑えているからだと思います。
しかし、ビギナーズラックで1日で10万も勝ってしまうと人の金銭感覚は簡単に狂います。
冷静に考えると働いて得たお金の方が安定しているのに、ギャンブルで一発を狙った方が効率的であるというあり得ない考えを持ってしまいます。
現実はそうも甘くはないのが当然で、その勝ち額を全て飲まれて負けに転じてしまうと、「負け額を何としてでも取り戻さなければ」、「他の人に奢ってもらいたいが自分は奢りたくない」などとお金のことと自分のことしか考えられない最悪の人格になります。
それ以前にお金が無くて苦しいので、他の人のことを考える余裕すらなくなり、自分のことで精一杯になるのです。
人にお金を借りる時は頭を下げますが、返済は簡単に踏み倒す。
消費者金融から借りたお金をまともに返すことが出来ず、闇金融などにも手を出す。
家族や親族にもお金を借りるようになり、返済をしないため家族や親族との縁も切れる。
そうやって人から信頼を失い孤独になっていくのです。
そして行き着く未来は・・・想像するのに難しくありませんよね。
怨念による影響を受けたくなければギャンブルで勝ったお金を手にしないこと
ギャンブルというものはギャンブルの参加者からお金を集め、胴元がお金を抜いて残ったお金をギャンブルの参加者に再分配する遊戯です。
胴元がお金を抜くため、ギャンブルに勝つ期待値よりも負ける期待値の方が大きく、ほぼ確実に損をするようになっています。
それが分かっていながらギャンブルをすることは愚かなことです。
勝つ人が居れば負ける人もいる、ということは負ける人の恨みや妬みという負の感情がギャンブルを行う場所に集まることになります。
そして、その負の感情は怨念となりギャンブルをする場所に集まり、ギャンブルで勝って得たお金にも宿るようになります。
なので、ギャンブルで勝ったお金にはギャンブルで負けた人の怨念が込められていることを十分に気を付けなければいけません。
そもそもギャンブルに手を出さないというのがベストな選択なので、ギャンブルに手を出さないのが健全でお金と心を豊かにするのにいい選択になります。
同じようなことは投資にも言えるのではないかと指摘する方もいるかもしれませんが、投資は経済が成長するとそれだけ資産が増えるプラスサムゲームです。
なので、インデックス運用の投資信託やETFを着実に積み立てていけば、期待値はプラスになります。
もちろん元本割れのリスクはありますが、それでも冷静な心を持ち、投資信託を売らないでおけば値が戻り、元本割れの状態から抜け出すことが出来ます。
ただし、「インデックス運用の投資の儲けは我慢料」という意味の言葉がある通りかなり時間が必要になり、長期間冷静でいられるメンタルが必要ですのですべての人が儲けられるかというとそうではありません。
ただ、インデックス運用の投資はギャンブルとは全く異なったものなので、投資で出た含み益は怨念の込められていない綺麗なお金で、これにどう色を付けるかは、投資をする人次第になります。
今回のお話は以上となります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
